ことの始まり
2001年に国立障害者リハビリテーションセンター(国リハ)研究所に赴任することになり、主要研究テーマとして網膜色素変性症(RP)の原因遺伝子探索を掲げることにしました。2002年までに、遺伝子組換え実験の実施体制が整い、ヒトゲノム・遺伝子解析研究倫理審査委員会の承認が得られたので、国リハ病院眼科を受診された患者から血液の提供を受け、ゲノムDNAの抽出を開始しました。患者対応は、簗島謙次医師、秦裕美医師、大平文医師によって行われ、連結可能匿名化された血液からのゲノムDNAの抽出と遺伝子解析は、研究所で行われました。
経緯
当時、RPの原因遺伝子として36種類報告されていました。この中から欧米の常染色体優性RP (adRP)の原因遺伝子で一番多いとされていたロドプシン(RHO)を最初の標的遺伝子として選び、変異スクリーニングを行うことにしました。RHO遺伝子の座位は第3染色体にあり、5つのエクソンからなる6.7kbpの領域を占めています(下図)。遺伝子の変異を検出するにはいくつかの方法がありますが、このように座位が短かったので、エクソンのみならずプロモーター領域とイントロンを含めた全領域の塩基配列を決定することにしました。
結果
患者のゲノムDNAを調製すると同時に、ヒトの培養細胞のゲノムDNAを用いてRHOの座位をPCRによって増幅し、サンガー法による塩基配列決定のプロトコルを作成しました。このプロトコルにより68名のRP患者と68名の対照者のゲノムDNAを用いて、RHO遺伝子座位の全塩基配列を決定しました。その結果、RP患者では病因の可能性のある変異は見出せませんでした。ただ、予期せぬことに対照群の中の一人に、アミノ酸置換p.(Ala42Thr)を引き起こす1塩基置換が見つかりました。
RP患者には肝心の病因変異が見つからなかったので、これでは論文化するのは難しいと思っていたところ、Molecular Visionという電子ジャーナルが、ネガティブなデータでも掲載してくれるということを知り、この雑誌に投稿することにしました。この雑誌は、紙媒体がなく電子媒体だけなので、ページ数に制限はなく、カラーも自由に使えます。投稿料は無料でかつオープンアクセスというのも魅力的です。
幸いこの論文はMolecular Visionに採択されました。病因変異が見つからなかったことは、ネガティブデータですが、RHO遺伝子の座位の全塩基配列を決定し、この領域のハプロタイプを決めたという点では、価値のあるデータとなりました。ハプロタイプは大きく5つのグループに分けられ (Figure 1)、日本人のルーツとの関連に興味が持たれます。
余談
対照者の中から変異が見つかるという予想外の出来事が起こり、この問題にどう対処するかで一時混乱が生じましたが、倫理審査委員会の指示に従って問題の解決が図られました。この変異が見つかった時点で、まだ対照者の数が少なかったので、全員に変異が見つかったことを知らせ、それが自分のものかどうか知りたい場合は、簗島医師に問い合わせてもらい、もし該当した場合は、希望に応じて診察を受けてもらうというものです。初めてのゲノム解析で、いきなりその難しさを感じさせる出来事に遭遇したことになりました。
なお、塩基配列決定において最大の貢献をしてくれたのが、東洋大学大学院修士課程の学生であった安藤祐一郎君で、この研究は彼の修士論文になっています。
疑問点
Q1 日本人のRP患者のRHO変異はどれぐらいあるのか?
Q2 p.(Ala42Thr)の病原性は?
Q3 各ハプロタイプの祖先のルーツは?
被引用文献
病因変異を見つけた論文ではないので、引用されることは少ないですが、それまでに報告されていた日本人adRP患者のRHO遺伝子変異をまとめて記載したので、多分そのせいで引用された論文がいくつか見つかりました。メキシコ(R09140)、香港(R09099)、中国(R10121)、韓国(R11089)、イラン(R19030)のRP患者のRHO遺伝子変異に関する論文です。
この中で、中国の論文(R10121)は、チベット系民族ペー族のadRPの大規模家系で、連鎖解析によりRHOの座位に連鎖不平衡が認められ、RHOの翻訳領域の塩基配列解析の結果、c.1040C>T (p.(Pro347Leu))が病因変異であることを突き止めました。しかも、エクソン1の5’-UTRの中の二箇所のSNPsが、患者で優位に頻度が高いので、病気のなりやすさと関係するのではないかと論じています。この時、我々のハプロタイプ解析を引用しています。しかし、この解釈は間違いであり、これらのSNPsはハプロタイプH03のタグSNPに対応するので、c.1040C>Tが、このハプロタイプに乗っていることを意味しているだけです。
本研究の最大の特徴は、日本人136名の常染色体の特定遺伝子の座位の全塩基配列を決定し、ハプロタイプを決定したことです。その意味では、日本人のルーツを探る人類遺伝学の専門家に見てもらいたいところです。今後、最新の集団別SNPsデータベースを用いて、人類遺伝学の観点から、ハプロタイプの起源を検討してみようと考えています。