ことの始まり

東工大資源研の鈴木研究室で大学院博士課程に進学し、研究テーマとして生体膜を模した機能性人工膜を取り上げることにしました。最初に挑戦したのが眼の網膜のような光受容膜です。網膜ではレチナールという光受容物質が光異性化を起こし、次いで種々の反応が起こることによって、最終的に膜電位が変化します。そこで、光異性化を起こす化合物を膜に固定して、膜電位変化を生じるような光応答性膜を作ることを試みました。

経緯

生体膜の特徴の一つはリン脂質のような動的な構造を有することです。そこでリン脂質と光異性化を起こすフォトクロミック化合物を混合して担体膜に固定すれば、光照射によってフォトクロミック化合物が光異性化を起こし、その結果、膜内のリン脂質のミセル構造が変化し、膜相のイオンの輸率が変わって膜電位変化を引き起こせるのではないかと考えました。

リン脂質として生体膜の主要構成成分であるホスファチジルコリンを用いました。ホスファチジルコリンは鶏卵の卵黄から抽出精製しました。フォトクロミック化合物として選んだのはスピロピランです。スピロピランは下図に示すように、紫外光を照射するとピラン環が開環して、赤紫色の両イオン性構造となります。これに可視光を照射すると閉環し元の無色の非イオン性の構造に戻ります。

アセチルセルロースのアセトン溶液にホスファチジルコリンとスピロピランを混合し、ガラス板上に展開してキャスティング法により成膜し、スピロピラン含有膜を作製しました。この膜を異なる塩濃度の溶液間に設置して膜電位を測定しました。

結果

スピロピラン含有膜に紫外光を照射したところ、期待通り膜電位の変化が見られました。しかもこの変化は、膜中のスピロピランの構造変化に対応することが示されました。この状態で可視光を照射すると膜電位は元の値に戻り、紫外光照射と可視光照射を繰り返すことによって膜電位は可逆的に変化することがわかりました。この光誘起膜電位変化の塩濃度依存性の実験から、膜電位変化は膜中のイオンの輸率の変化によるものではなく、膜相の荷電密度の変化に起因することを明らかにしました。

光誘起膜電位の生成機構に関しては、もう少し追求を続けました。膜の片面だけにスピロピランが存在する非対称の膜を作ったところ、膜の両側の塩濃度が同じであっても光誘起膜電位が生成することから、確かにこの電位は膜界面電位の変化であることが確かめられました（K77-1）。また、光誘起膜電位は酸性領域でのみ観測されることから、開環したスピロピランがプロトン化し正荷電を有することによると結論付けました。さらに、ホスファチジルコリンの含有量を変えた膜について調べたところ、ホスファチジルコリンの存在によってスピロピランの光異性化速度が早くなることや光誘起電位の変化量も大きくなることが示されました（K77-3）。これらのことから、ホスファチジルコリンはスピロピランの構造変化を容易にする溶媒的な役割を果たしていると考えられます。

余談

この研究のアイデアの発端になったのは、当時鈴木研で博士課程に在籍しておられた先輩、南波憲良氏の研究です。南波氏はアミラーゼにスピロピランを結合して、酵素活性を光で制御する試みを行っていました（Namba and Suzuki, 1975）。私はそれをそばで見ていて、スピロピランが光異性化を行い構造変化を起こすのなら、これをリン脂質膜に固定すれば光誘起膜電位を観測できるのではないかと考えました。予想通りの結果が得られましたが、リン脂質のミセル構造の変化を期待していたので、単に荷電密度の変化によるものであるというのは少々残念な結果でした。

論文をどの雑誌に投稿したら良いか迷っていたところ、ElsevierからJournal of Membrane Scienceという雑誌が創刊されることを知りました。内容的にはぴったりなので投稿したところ受理され、第一巻に掲載されることになりました。博士課程修了後、この雑誌の編集長であったLonsdale博士の紹介によって、西ドイツのマックス・プランク生物物理学研究所に行くことになるのは不思議な縁です。

この論文は、私の研究者人生における最初の印刷論文です。そして、研究者として最後のテーマは国立障害者リハビリテーションセンター研究所で行った網膜の遺伝子の研究です。光応答性膜に始まり、網膜の光受容膜で締めくくったというのも不思議な巡り合わせです。

被引用文献

本論文を引用した論文を下表にまとめ、それぞれが対象とした光応答材料を備考欄に記載しました。これら一連の研究の流れの中で、本論文は光応答性を示す人工膜の初めての論文として引用されています。

1976年に本論文が出た後、相澤先生が視物質レチナールの光異性化に伴う膜電位応答について論文を出されました［2、5］。1980年代になって、東北大の安斎らのグループが、ポリ塩化ビニル(PVC)を担体として、アゾベンゼン化クラウンエーテル、長鎖アルキル化スピロピラン、クラウンエーテル結合長鎖アルキル化スピロピランなどを固定化した膜の光誘起膜電位を［総説：21、26、46、51］、また、名工大の木下らのグループは、アゾベンゼン化ポリグルタミン酸膜の光誘起膜電位を報告しています［総説：32、37］。その後、大阪大と和歌山大のグループは、クラウンエーテルとスピロピランを含有するポリマー膜を用いて物資透過の光制御を試みています［総説：44］。いずれも膜中に固定化したスピロピランのピラン環が開裂することによって、膜相の荷電密度が変化することにより光誘起電位が生成するということで、我々が最初に報告した結果を追認する結果となっています。

他にも各種スピロピラン誘導体を種々のポリマー膜に固定化した膜の光誘起膜電位が報告されています［10、17、54、61］。ポリマー膜以外に、スピロピランを含む単層LB膜や二層LB膜について、膜電位やイオン透過性の光応答を検討した例も見られます［29、45］。また、イスラエルのグループは、金電極の表面にスピロピラン単層膜を作り、電極反応の光制御を試みています［52、80］。

この表を見て驚いたのは、外山らのスピロピラン/BLM膜に関する論文［45］です。外山滋氏は私が国立障害者リハビリテーションセンター研究所障害工学研究部の部長として赴任した時に、生体工学研究室長だった方です。外山氏が大学院の学生の時に私のこの論文を読んだことがあるというので、研究室の文献紹介か何かで取り上げたのだろうと思っていました。ところが、実際に研究対象であったというわけです。

光による高分子材料の機能制御は今日でも興味をそそる研究対象となっているようです［82］。そして、スピロピランは光によるスイッチオン-オフによって機能を制御できるという点で、いまだに研究者の関心を惹き続けているようです（Kortekaas & Browne, 2019）。その意味では、スピロピランによって酵素活性を制御しようと試みた南波博士の先見の明に改めて感銘を受けます。