ことの始まり
山口大学医学部第一生理学教室に助手として赴任し、長琢朗教授から最初に依頼されたのが子宮平滑筋のK拘縮の速度論的解析でした。平滑筋をリンゲル液に浸け、NaをKに置き換えた等張液にすると拘縮が起こり、この状態で外液からCa2+を除くと筋は弛緩します。高Kによって筋の細胞膜が脱分極し、細胞内膜系からのCa2+放出や外液からのCa2+流入によって拘縮が起こり、Ca2+を除くと細胞内膜系によるCa2+の吸収や細胞膜を通してのCa2+の排出のために、弛緩が起こると考えられます。このようなK脱分極下でのCa拘縮の張力変化を解析すれば、平滑筋細胞内のCa2+動態を定量的に知ることができるのではないかと考えました。
経緯
最初の仮定は、張力は細胞内Ca2+濃度に比例するというものです。細胞内Ca2+濃度は細胞膜を通してのCa2+の流入・排出や細胞内膜系によるCa2+の放出・吸収によって変化するので、もしこれらのCa2+移動が律速段階であれば、張力曲線を解析することによって、Ca2+移動に関わる各ステップの速度論的パラメータを求めることができると考えたわけです。
そこで、張力曲線に及ぼす各種実験条件の影響を調べることにしました。具体的には、試料の厚さ、外液のCa2+濃度、外液の温度、外液の流速を変えた実験を行いました。用いた試料は、メスのラットから卵巣を摘出して去勢を行なった後、エストロゲンを皮下注射して大きくなった子宮から切り出した縦走筋です。
結果
外液からCa2+を除去した際のCa2+拘縮の弛緩速度は、筋試料の厚さが増すと遅くなり、外液の温度の影響は小さいことが示されました。一方、電気刺激によって生じる単一収縮の収縮速度や弛緩速度は、筋試料の厚さが変わっても変化せず、外液の温度を上げると速くなりました。以上の結果からCa2+拘縮の弛緩過程では細胞外間隙におけるCa2+の拡散過程が律速なっていることが示されました。また、外液の流速を早くすると弛緩速度が速くなることから、筋試料表面の不攪拌層におけるCa2+の拡散過程も無視できないことがわかりました。
以上の実験結果に基づいて、子宮縦走筋試料内におけるCa2+の拡散モデルを作り、実験結果を定量的に説明することができました。実験値と計算値の比較から、子宮縦走筋の細胞外間隙におけるCa2+の見かけの拡散定数を推定したところ、血管平滑筋やカエルの骨格筋で推定されている値の10分の1でした。これは細胞外間隙におけるCa2+の結合によるものと推察しました。
余談
生理学分野の論文を投稿するのは初めてなので、関連する分野の専門家に見ていただこうと思って、引用文献の著者の中から、ラットの子宮筋内のCa2+分布について研究を行っていたマイアミ大のvan Breemen博士に草稿を送り、意見を求めました。その結果、丁寧に読んでくださり、修正点を指摘していただきました。その後、新宿で開催された国際薬理学会で、この内容でポスター発表を行い、参加されていたvan Breemen博士と直接お会いすることができました。van Breemen博士のお墨付きをいただいたので、J. Membr. Biol.に投稿しましたが受理されませんでした。確かに細胞膜そのものに関する研究ではないので、妥当な判定であったと思います。次にJ. Gen. Physiol.に投稿したところ受理されました。
血を見るのが嫌なので医学部には行きたくないと思っていたのに、医学部で仕事を得て血を見るはめになるとは思いもよりませんでした。実験を繰り返すうちに、血を見るのには慣れてきました。卵巣を切除したラットの子宮は、2~3mmと細くなりますが、エストロゲンを皮下注射すると4日ほどで1cmぐらいまで太くなり、ホルモンの威力に目を見張るものがあります。実験材料として面白いと思いましたが、動物を犠牲にしなくてはならない罪悪感からは逃れられませんでした。
被引用文献
この論文は、平滑筋の収縮曲線を解析する上で、外液のイオンや薬物が拡散律速になることの重要性を指摘した点に意義があります。従って、この手の解析を行う場合の問題点を提起し注意喚起をするといった内容なので、新しい展開が期待されるものではありませんでした。事実、引用されたのは6報にとどまります。我々の解析法を用いて、それぞれが研究対象としている平滑筋試料内でのCa2+の拡散[1, 4]や、収縮を引き起こすアゴニストの拡散[2]を検討したという論文です。細胞外間隙におけるCa2+の見かけの拡散定数が小さいことが指摘されていますが[4]、その一つの原因は、本論文の一番最後に記載したように、Mg2+を含まないLocke-Ringer液を用いたため、細胞外間隙におけるCa2+の結合が大きく影響したのではないかと考えています。