ことの始まり
山口大学医学部第一生理学教室で最初に出した論文は、ラットの子宮平滑筋のK拘縮に関するものです(K82-1)。高K液中で細胞膜を脱分極すると外液のCa2+濃度依存性の拘縮が起こり、その時の張力曲線を解析することによって、細胞内のCa2+動態を知ることができるのではないかと考えました。その結果、張力発生や弛緩プロセスの律速段階は、細胞内のCa2+の動きではなく、細胞外のCa2+の拡散であることが示されました。
一方、自発性収縮や電気刺激によって生じる単一収縮は、外液のイオンの拡散プロセスを含まないので、細胞内のCa2+の動きを反映していると考えられます。実際、これらの単一収縮の張力発生や弛緩速度は、筋試料の厚さには依存せず、温度依存性が高いことから、張力は細胞内Ca2+の動きや収縮タンパク質の反応プロセスが律速になっていると考えられます。そこで、これらのプロセスを全て含む張力発生の数理モデルを作ることを試みることにしました。
経緯
当時、生化学分野で平滑筋の収縮タンパク質の研究が進み、ミオシンのリン酸化が収縮に関与しているという仮説が主流になっていました。ミオシンリン酸化仮説とは、Ca2+がカルモジュリンに結合し、このカルモジュリンによって活性化されたミオシン軽鎖キナーゼがミオシン軽鎖をリン酸化すると、ミオシンがアクチンとクロスブリッジを形成し、滑りによる力が発生するというものです。リン酸化されたミオシン軽鎖は、ミオシン軽鎖ホスファターゼによって脱リン酸化され元に戻ります。
そこで、この仮説を取り入れた数理モデルを作ることにしました。本論文では、① Ca2+によるカルモジュリンの活性化、②活性化カルモジュリンによるミオシン軽鎖キナーゼの活性化、③活性化ミオシン軽鎖キナーゼによるミオシン軽鎖のリン酸化とミオシン軽鎖ホスファターゼによる脱リン酸化、④リン酸化ミオシンによる張力発生という4つの過程を数理モデル化しました。各反応の速度論的パラメータは、生化学実験によって報告されたものや、我々の張力曲線の解析から推測したものを用いました。ちょうどこの研究をやっている時に、医学部にNECの大型コンピュータとグラフィックディスプレー装置が導入されたので、これらを使用して計算を実施することができました。
結果
構築したモデルを用いて、Ca2+濃度とミオシンのリン酸化との関係やCa2+濃度と発生する張力との関係をシミュレートすることができました。その際、各パラメータの変化がこれらの関係にどのように影響を及ぼすかについても詳細な知見を得ることができました。その結果、これまで実験的に得られていた、Ca2+濃度、リン酸化されたミオシンの量、発生する張力の間の関係について、食い違いが見られたものについても、定量的に説明することが可能になりました。
余談
最初、実験で得た単一収縮曲線の速度論的解析とその結果を説明するためのミオシンリン酸化仮説に基づく数理モデルを一緒にした論文を作成し、J. Gen. Physiol.に投稿したところ、受理されませんでした。ただ、二人のレフリーからは、興味深い内容なので、実験の論文と理論の論文に分離し、それぞれを適切な雑誌に投稿するようにという提案がありました。それに従い、理論の部分をまとめたものが本論文であり、Biophys. J.に投稿して受理されました。実験データの解析の論文は、山口大学を辞職することになったので、日の目を見ませんでした。
被引用文献
本論文はミオシン軽鎖リン酸化仮説に基づく平滑筋収縮の初めての数理モデルということで、平滑筋収縮の数理モデルの研究者によって引用されています。当時わかっていた全ての生化学データを用いたモデルといえますが、その後、新しい実験データが蓄積されるにつれて、モデルの改良が行われています。
本論文のモデルでは、カルモジュリンの活性化とミオシン軽鎖キナーゼの活性化過程が迅速に平衡状態に達すると仮定しています。その後の生化学的研究によりCa2+によるカルモジュリンの活性化が2段階で起こること[4]や活性化カルモジュリンによるミオシン軽鎖キナーゼの活性化機構の詳細[11]も明らかになってきたので、より精密なモデルが作られています[14, 17, 18]。
40年前の論文が2023年になっても引用されているのは驚きです。最初に提案された数理モデルということで引用されているようです。科学研究においては最初に見つけたり作ったりすることが重要性であることをあらためて認識させられました。