研究室

米国National Institute of Health (NIH)

National Institute of Dental Research (NIDR)
Laboratory of Developmental Biology and Anomalies (LDBA)
Molecular Biology Section

テーマ:細胞外マトリックスタンパク質のcDNAクローニング

ことの始まり


私が初めてcDNA合成に関わったのは、米国NIHにおいてです。cDNAクローニング技術の習得とこの分野の情報収集を目的として、半年間の予定で相模中研からNIH出張を命じられました。受け入れ先は、NIDRのGeorge Martin博士のラボで、Molecular Biology Sectionチーフの山田吉彦博士(Yoshi)の指導を受けました。当時、Yoshiの研究室には、日本人、フランス人、スペイン人、アメリカ人のポスドクが在籍し、細胞外マトリックスに関する研究に従事していました。私が関わることになったのは、Type IVコラーゲンのcDNAクローニングです。


方針


今回の研修の目的は、cDNAクローニング技術、具体的には、細胞培養法、mRNA調製法、cDNAライブラリー作製法、アイソトープの取扱法、各種ハイブリダイゼーション法、塩基配列決定法などを身につけることです。Yoshiの研究室では、ちょうど細胞外マトリックスのcDNAクローニングを開始した時だったので、Yoshiにピッタリくっついて実験の手伝いをしながら、これらの技術を身につけることにしました。当時、NIHのNational Institute of EyeにcDNAライブラリー作製のプロフェッショナルである岡山博人博士がいらっしゃったので、時々伺いアドバイスを受けることにしました。


成果


(1)マウスラミニンB1鎖のcDNAクローニング(K87-1


分化したマウステラトカルシノーマ細胞株F9からOkayama-Berg法の変法を用いてcDNAライブラリーを作製し、5.3kbpのマウスラミニンB1鎖のcDNA断片をクローン化できました。私が帰国後、Yoshiの研究室で欠失した5’端のcDNAがプライマー伸長法により取られ、全長cDNAが得られたので、ラミニンB1鎖の一次構造が明らかになりました。


(2)ヒトIV型コラーゲンcDNAのクローニング


ヒト繊維肉腫細胞株HT-1080からcDNAライブラリーを作製し、ヒトIV型コラーゲンcDNAをクローン化しました。ただ、すでに報告があったためか、論文化されなかったようです。


余談


<良縁・奇縁>


山田吉彦先生のハードワークぶりはNIHでも有名でしたが、夕食をとりにご自宅にお帰りになった後、研究室に戻られて夜遅くまで実験と論文書きをされるという毎日でした。私も研究室に訪れたその日から先生の実験のお手伝いをすることができました。短時間で目標を達成できたのは、先生とのハードワークのおかげです。山田先生にはプライベートでも大変お世話になりました。渡米して最初の1週間、先生のお宅に泊めて頂きました。その後、何度か夕食に招かれています。小学生の息子さんと4歳の娘さんは当人同士は英語で、ご両親とは関西弁で話されていました。


帰国後、サンプルのやりとりをしたり、訪日された際、相模中研で講演していただいたりとしばらく交流がありました。また、私が国際会議出席のため訪米した際に、先生の研究室を訪れて講演させていただいたこともあります。私が国リハに移ってからは残念ながらお会いする機会も無くなりました。私が2015年に国リハを退官した後、デラウエア大に日本学術振興会の海外特別研究員として滞在していた愚息のところを訪れるついでに、NIHに立ち寄って山田先生にお会いすることにしていたのですが、愚息の帰国が早まってお会いすることがかないませんでした。


このホームページを作成するために、山田先生はどうしているかなと思ってNIHのホームページを見たら、衝撃的なニュースが載っていました。もう一度お会いして、私のヒト遺伝子コレクションに含まれている細胞外マトリックスcDNAを紹介して、議論していただきたかったのですが残念です。350報の論文を出されたとのことですが、先生の日常生活を拝見していたので驚きはしません。またNIHにおいて多くの日本人研究者の支援を行われたことは特筆すべきです。


山田先生の部屋には、当時お二人の日本人ポスドクが在籍していました。河野公俊博士と桜井賢樹博士です。このお二人にはプライベートでも大変お世話になりました。私が単身赴任だったこともあり、時々ご自宅に招待され夕食のお相伴にあずかりました。下宿ではシャワーしか使えなかったのですが、桜井氏宅ではお風呂まで使わしてもらい、湯船に浸かって疲労回復することができました。河野氏は帰国後、九大、大分医科大、産業医科大教授を歴任された後、産業医科大の学長として活躍されました。桜井氏は、帰国後、エイズ予防財団でエイズ予防に関する啓蒙活動で活躍しておられます。


NIHに在籍していた多くの日本人研究者の方達とも知り合いになりました。特にお世話になったのは次の御三方です。岡山博人博士からはcDNAライブラリー作製法についてアドバイスをいただきました。金久実博士からは塩基配列解析ソフトの入った磁気テープを譲り受けました。同じ研究棟の一階に居られた内潟安子博士には、モノクローナル抗体の作製法を教えていただきました。


<旧知の方々の訪問>


学会や視察などで訪米された方が、私がNIHにいるというので立ち寄られました。私の大学院時代の恩師である相澤益男先生(当時筑波大)、大学院時代に同じ研究室にいた園部信幸氏(日本合成ゴム)、山口大学時代に生理学教室の大学院生であった鈴木亮氏(山口大)、私に山口大学の職を紹介してくださった山田明夫先生(東京女子医大)とお会いできたことは幸いでした。


義兄の松本元次氏が三井物産の駐在員としてニューヨークにいたので、正月に訪れて泊めてもらい、ニューヨーク見物をしました。上記の園部氏もニューヨークにおられたので、義兄と一緒にエンパイアーステートビルの最上階にあった日本合成ゴムのニューヨーク駐在員事務所を訪れ、屋上展望台からニューヨークの夜景を眺めることができました。なお、義兄と園部氏は大学時代に面識があったというのも不思議な縁です。


<NIHでの研究生活>


期間が半年間と限られていたので、朝7時から夜11時まで実験をやりました。幸いNIHの研究室は24時間営業で、測定機器もコンピュータも皆付けっ放しです。図書館も24時間利用できます。土日は日本人の姿を多く見かけました。Yoshiとは実験中すべて英語でやりとりしました。同じ部屋の外国人への配慮です。


一番驚いたのは、普通の実験室でアイソトープを使っていることです。塩基配列の決定はマキサム・ギルバート法を用いていたので、ラベル用に大量のアイソトープを使用しました。当時、Yoshiの研究室がNIH内で最も多くのアイソトープを使用していたようです。ある日、使用状況の監査があり、部屋の放射能汚染がひどいということで1ヶ月間の使用停止処分を受けてしまいました。滞在期間が限られている私としては大変焦りました。


ラボの大ボスのGeorgeとは話す機会はほとんどありませんでしたが、いつも短パン姿でジョギングしているのが印象に残っています。山口大学の時に投稿したBiophys. J.の論文がアクセプトされ、その別刷り代金をラボの費用で払ってくださいました。ちょうど良い成果が出た時だったのでお駄賃と思われます。


NIHにいることの利点の一つは、毎日多くの講演会・セミナーが開催されており、最新情報に触れることができることです。実験の合間を縫って、できるだけ多くの講演会・セミナーに出席しました。利根川進博士、大野晋博士、本庶佑博士の講演にはいずれも多くの聴衆が集まりました。特に印象的だったのは、聴衆が部屋に入り切らず延期になった岡山博人博士のセミナーです。


<ベセスダでの下宿生活>


宿としてNIHから歩いてすぐのところにある一軒家の一室を借りました。以前、沼尾氏も利用されたことがあるようです。下宿代はなんと$195/月、高級ホテル一泊分です。Eadieさんという老夫妻の家で、3室を貸していたようです。私が借りた部屋は娘さんの部屋だったらしく、花柄の家具や調度品で中にいると妙な気分になりました。隣の部屋は出入りが激しく、NIHの病院を訪れる患者の安宿として利用されていたようです。地下にもう一室あり、そこはNIHのギリシャ人研究者が借りていたようですが、半年の間、一度も会ったことがありません。私は早朝出かけ夜遅く帰るので、滞在時間帯がズレていたためと思われます。


研究所までは歩いて行けますが、生活するとなると車が必要になると思い、帰国する日本人からGMのカトラスという中古車を買いました。いわゆるアメ車で車幅が広く、運転席に座って腕を窓にかけることができません。以前、ドイツで運転していたので、右側通行にはすぐ慣れました。日曜日にはこの車でワシントンD.C.のスミソニアン博物館・美術館を訪れ多くのアート作品に触れてリフレッシュし、カフェテリアでランチを取りました。日本からの来客があった時は、航空宇宙博物館に案内し喜ばれました。

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