ベクターキャッピング法とは
完全長cDNAライブラリーを作製するため、我々が開発した方法です。下図に示すように、わずか3工程あるいは4工程で、高品質の完全長cDNAライブラリーを作製することができます。完全長cDNAの5’端にベクターが直接結合することから、ベクターキャッピング法(V-キャッピング法)と名付けました(K05-1)。この方法の特徴を一言で表せば、”Simple is Best”です。
キメラオリゴキャッピング法の改良の過程で、T4 RNAリガーゼによってmRNA:cDNAヘテロ二重鎖の末端とベクターの平滑末端を連結する反応が起こることを見つけました。特筆すべきは、完全長cDNAの5’端にキャップ依存性のdG付加が起こることです。キャップ依存性dG付加のメカニズムについては、キャップ構造アナログを有するモデルmRNAを用いて明らかにしました(K04-1)。ベクターキャッピング法の詳細なプロトコルは、論文(K11-1)に記載してあります。
プロトコルの特徴
(1)精製mRNAではなく全RNAを用いる。
出発材料の量が従来法の1/50〜1/100で済むので、少量の試料しか得られない組織からもcDNAライブラリーを作成できます。また、mRNA(ポリ(A)+RNA)を精製しないので、mRNAの精製工程での分解が避けられます。
(2)工程数が少ない。
第一鎖cDNA合成、セルフライゲーションによるベクターとの連結、第二鎖cDNA合成という最小限の工程からなります。また、cDNAの5’端とベクターを直接連結するので、キャップ依存性dG付加の有無を判別できます。
(3)mRNAの処理工程を含まない。
オリゴキャッピング法やキャップトラッパー法ではキャップ構造の置換や修飾といったmRNAの処理工程を含んでいますが、これらの工程で起こりうるmRNAの分解が避けられます。
(4)PCR工程を含まない。
PCR工程におけるポリメラーゼの読み取りミスによる変異が避けられます。また、単一mRNA由来のコピーcDNAを生成しません。
(5)制限酵素部位を有するリンカーやアダプターを用いない。
リンカーやアダプター切断用の制限酵素によるcDNA内切断が避けられます。また、異なるcDNA分子間の連結によるキメラcDNAが生成しません。
(6)ベクタープライマーを用いる。
cDNAの向きが一義的に決まり、アンチセンス鎖cDNAを同定できます。また、mRNA内のAストレッチにプライミングしにくいので、3’側の欠失が避けられます。
(7)最小サイズ(3.4kbp)のベクターを用いる。
長鎖cDNAの挿入が可能です。
(8)ライブラリーの増幅を行わない。
大腸菌の形質転換後、直ちに寒天培地に撒いてコロニーを形成しライブラリー化するので、各コロニーはコピークローンではない異なる単一mRNA分子由来のcDNAクローンを含んでいます。
(9)プロモーターを有する発現ベクターを用いる。
インビトロ翻訳や動物細胞内発現により、タンパク質を作ることができます。
プロトコルの問題点
(1)ポリAテールが短い場合、ベクタープライマーがプライミングできない可能性がある。
(2)高品質の全RNAと高品質のベクタープライマーの調製が必須要件である。
ライブラリーの特徴
(1)キャップ部位からポリAテールまでを含む単一mRNA分子由来の完全長cDNAクローンからなる。
(2)動物細胞由来のRNAの場合、完全長率が95%以上と高い。
(3)cDNAの5’端に余分なdGが付加しているかどうかを見ることで完全長かどうか判定可能である。
(4)転写産物の発現量やサイズによるバイアスが小さいので、遺伝子の発現プロフィールを反映しており、希少遺伝子cDNA、100bp以下の短鎖cDNA、10kbp以上の長鎖cDNAも含まれる。
ライブラリーの解析で新しく分かったこと
(1)動物の培養細胞や生体組織から抽出した全RNA内のポリ(A)+RNAは、ほとんど分解していない(K05-1)。
(2)多くの遺伝子で、選択的転写開始点、選択的スプライシングバリアント、選択的ポリアデニル化部位が見られる(K11-2、K13-1)。
(3)既知遺伝子の第一エクソン部位に対するアンチセンス鎖mRNAが存在する(K11-2)。
(4)キャップのついていない完全長mRNAがある(K05-1、K08-1)。
利用実績
ベクターキャッピング法は、日立計測器サービス(株)との共同研究によって開発されたものです。そこで、日立計測器サービス(現日立ハイテク、後に北海道システム・サイエンスに実施許諾)は事業化を行い、多くのライブラリー作製を手がけてきました。これまでに対象とした種は、ウイルス、酵母、寄生虫、線虫、昆虫、魚類、哺乳類、植物など30種類以上にのぼり、日本における各種生物のトランスクリプトーム解析やバイオリソース構築に貢献しています(K05-1の被引用文献と解説「V-capped cDNA libraries」参照)。特に、少量のサンプルしか入手できない組織(例えばカイコのさまざま組織)のトランスクリプトーム解析やこれまで困難であった長鎖遺伝子(例えばクモの糸)のcDNAクローニングなどにおいて威力を発揮しています。
推奨する用途
(1)トランスクリプトーム解析
(i)初めて解析を試みる試料
初めてトランスクリプトーム解析を実施しようとする生物試料の場合、最近最も多く使われるのは、RNA-seqであると思われます。ただ、RNA-seqで得られるのは、cDNAの断片の塩基配列情報だけです。遺伝子の機能解析までを考えているのなら、ベクターキャッピング法で完全長cDNAクローンを揃えるのが、急がば回れで最良の選択と思います。その最も良い例が、フタトゲチマダニのライブラリー(Umemiya-Shirafuji et al., 2021)です。完全長cDNAを揃えることによって、多くの遺伝子の機能解析が行われ、41報の論文が出版されています。
(ii)大規模解析が実施されている試料
すでにさまざまな方法で遺伝子が取り尽くされたと思われている試料でも、従来法が有している限界のため、多くの取りこぼし遺伝子がある可能性があります。最初にこのことを示したのが、三浦らによる出芽酵母の完全長cDNA解析(Miura et al., 2006)です。出芽酵母の遺伝子は取り尽くされたと考えられていましたが、ベクターキャッピング法で作製したライブラリーから、多くの新規転写産物が見出され、この分野の研究者に大きなインパクトを与えました。
最も多くの解析がなされているヒト細胞でさえ、我々はデータベースに登録されていない多くの希少遺伝子のcDNAを見出しました(ヒト希少遺伝子)。またこれまで完全長cDNAが取られていなかった多くの長鎖遺伝子の完全長cDNAクローンを取得することができました(K11-2、ヒト長鎖遺伝子)。さらに予想以上に多くの遺伝子で選択的スプライシングバリアントが認められることから、5’端の塩基配列が同じであっても全長の塩基配列解析を行うことが必要であることを示しました。
以上のような理由から、これまですでに解析が行われている生物種や組織についても、未発見の希少遺伝子、長鎖遺伝子、選択的スプライシングバリアントの完全長cDNAクローン(塩基配列情報だけでなくcDNAそのもの)を得るために、ベクターキャッピング法を試してみる価値があります。
(2)特定遺伝子のクローニング
組織特異的な遺伝子の場合、特定組織では発現量も多いと考えられます(例えばホルモン分泌腺)。従って、目的とする遺伝子の塩基配列がわからなくても、その組織から作製したライブラリーからランダムに2,000クローンぐらい選んで、5’端の塩基配列を決め、ORFのアミノ酸配列で相同性解析を行えば、目的とする遺伝子を同定しクローン化できる可能性が高いと思われます。このような組織は少量しか得られないものが多く、従来法の100分の1量の全RNAから高効率で完全長cDNAライブラリーを作製できるベクターキャッピング法を用いれば、目的を達成することが期待できます。実例は、解説「V-capped cDNA libraries」を参照してください。
(3)遺伝子保存手段としての利用
新しい用途として考えられるのが、遺伝子保存手段としての利用です。少量しか得られない貴重な試料の場合、分解し易いRNAを保存するよりは、安定なcDNAに変換してから保存する方が望ましいです。必要であれば試料の一部はRNA-seqなどによるトランスクリプトーム解析に使用し、残りの試料からベクターキャッピング法でライブラリーを作製し、大腸菌菌体や菌体から抽出したcDNA (クローン化したものでも混合物でも構わない)として保存しておく方法です。これらは必要に応じて何度でも配列の分かった目的とする遺伝子の完全長cDNAをクローニングするためのリソースとして使用できます。
結び
ベクターキャッピング法は、上記のように多くのメリットを有しているので、今後も完全長cDNAライブラリー作製法の決定版として、広く使われることを期待しています。ベクターキャッピング法の成否の鍵を握っているのはベクタープライマーですが、これを作るにはある程度熟練した技術が必要なので、初めての場合は、市販品(例えば北海道システム・サイエンス製)を用いるのが良いと思われます。オリジナルのベクタープライマーを設計してやれば、さらに用途は広がります。例えば、完全長cDNAをナノポアシーケンサーにかけて全長配列を決めてやることなどが考えられます。今後、ベクタープライマーに改良を加えるなどの新たな展開を期待しています。