研究室

(財)相模中央化学研究所
第17研究班

The 17th research group,
Sagami Chemical Research Center (SCRC)

テーマ:ヒト有用タンパク質cDNAのクローニング

ことの始まり


スポンサー会社5社とのGE共同研究が終了後、相模中研独自の遺伝子工学研究を行うことになり、第16研究班(のちに第17研究班に移行)が発足しました。目標としたのは、ヒト有用タンパク質cDNAのクローニングというテーマのもとに、新しいプロジェクトを立ち上げることです。


方針


GE研究室で得られた経験から、医薬品となりえるヒト有用タンパク質を探索するのに、従来のように生理活性を指標にしてタンパク質から迫るのではなく、遺伝子から迫るのが早道であるという考えを抱きました。ヒト遺伝子の数は有限なのだから、まず全てのヒト遺伝子を揃えてから、医薬になりそうなものを探すという方略です。そこで考え出したのが「ホモ・プロテインcDNAバンク構想」です。その実現に向けて、これまで作製したcDNAライブラリーの解析を行い、バンクのプロトタイプを作製するとともに、そこで得られたcDNAクローンを大学やスポンサー企業に提供し共同研究を行うことから研究をスタートしました。


経緯


GE研究室において、リンホカインcDNAをクローニングするために作製したcDNAライブラリーから、無作為に選んだクローンの5’端の部分塩基配列を決定したところ、既知タンパク質のアミノ酸配列と類似性を有するタンパク質をコードするcDNAが効率よく得られることを見出しました。ただ、当時はアイソトープ標識を用いて塩基配列を決定していたので、多くの方々からこの方法でcDNAバンクを構築するのは非現実的と言われました。その後、蛍光DNAシーケンサーが登場し、この問題は一気に解決しました。


同時期、米国においてヒトゲノムの全塩基配列を決定しようというヒトゲノムプロジェクト案が浮上し、日本においても文部科研費のプログラムとして「ヒト・ゲノム解析研究」が開始されることになりました。当時日本においてcDNAの大規模解析を行なっていたのは我々のグループだけであったためか、cDNA解析班の一員として参加することを要請されました。特許出願などに問題はないということだったので参加することにしました。この時の分担金を全てcDNAの塩基配列決定の費用に当て、その解析結果を学会や各種シンポジウムで公表しました。その結果、多くの研究者からcDNAクローンの分譲申し込みがあり、いくつかについては論文化に至りました。また新規cDNAクローンは特許性があるので、まとめて特許出願を行いました。


我々の目的はあくまでもアミノ酸配列がわかった完全長タンパク質を得ることなので、cDNAも完全長であることが要求されます。しかし、従来法で作製したcDNAライブラリーの完全長率は低く、より完全長率の高いライブラリーが必要でした。また、cDNAがコードするタンパク質の機能解析が容易に行えることも望まれました。このような技術的な問題を解決するための新しいプロジェクトが(財)神奈川科学技術アカデミー(KAST)に採択され、ヒューマン・プロテインプロジェクトが発足しました。KASTのプロジェクトで開発した技術を用いてcDNAバンクを構築し、さらに大規模な機能解析プロジェクトを考えていたところ、新技術事業団のERATOプロジェクトとして採択され、ERATO加藤たん白生態プロジェクトが発足しました。


成果


(1)ホモ・プロテインcDNAバンク構築


  • ヒト完全長cDNAバンクの構築(K94-4
  • 分泌・膜タンパク質のcDNAクローニング(特許39件、遺伝子数339クローン)

(2)新規cDNAクローンの解析


  • DnaJホモログcDNAのクローニングと機能解析(K93-2, K97-1
  • Glyoxalase I cDNAのクローニングと機能解析(K93-3, K95-1
  • eIF-4AI cDNAのクローニング(K93-5
  • 26Sプロテアソームサブユニットp97cDNAのクローニングと機能解析(K96-3
  • UbcH-ben cDNAのクローニングと機能解析(K96-4
  • TGF-ßスーパーファミリー cDNAのクローニング(K97-2
  • Sab cDNAのクローニング(K98-1
  • Poly-Ub cDNAのクローニング(K98-3
  • 26Sプロテアソームサブユニットp28とp40.5 cDNAのクローニング(K98-5
  • 新規II型膜タンパク質のcDNAのクローニング(K99-1
  • UbcH-9 cDNAのクローニング(K99-2
  • 変異β-アクチンcDNAのクローニング(K99-5
  • 73種類のリボソームタンパク質 cDNAのクローニング(K02-1

(3)新規プロジェクトの立ち上げ



余談


<良縁・奇縁>


完全長cDNAライブラリーの作製は、関根伸吾氏の職人技に負うところが大です。cDNAの塩基配列決定は、ポスドクの呉寿完博士が中心になって、技術員の梅澤ゆりさん、金南順さん、加藤孝枝さん、岩堀明代さん、佐伯美帆呂さん、山口知子さん、そして北里大学と東海大学から毎年1名づつ卒研生として来こられた10名の学生諸君によって行われました。単純作業ではありますが、毎日が新しい遺伝子発見の連続で、皆さん楽しく行うことができたようです。その中から各自が気に入ったものを選んで機能解析を行い、論文化や卒業研究としました。機能解析では、金南順さん、佐伯美帆呂さん、山口知子さんが多くの面白いデータを出してくれました。


呉寿完氏は韓国出身で東大で学位を取った後、相模中研のポスドクとして採用され、私の班に配属されました。cDNAライブラリーの大規模塩基配列決定の指揮を取ってもらい、ホモ・プロテインcDNAバンクのプロトタイプ構築に貢献されました。お国では兵役で戦車しか操縦したことがないと言いながら、格安の中古車を手に入れて運転していたのが印象に残っています。


金南順さんは、同僚の裵さんと一緒に韓国からやってきて、相模中研の技術員として採用されました。当時、韓国人女性を正式な職員として採用することは稀であったと思われます。お二人とも韓国の大学院卒の修士で微生物を扱っていました。金さんは遺伝子の研究を希望したので、私の班に配属されました。最初はカタコトの日本語しか話せなかったのですが、半年後には報告書も日本語で書けるようになりました。5報の論文を仕上げ、東大で論文博士号を取得しました。帰国後、Korea Research Institute of Bioscience & Biotechnology(KRIBB)の研究員となり、韓国のcDNAプロジェクトを牽引されました。私は2002年にソウルで開催された韓国ゲノム機構(KOGO)の第一回大会に招待されて基調講演を行いましたが、その時の演者のトップバッターが金さんであり、感慨深いものがありました。現在は、KRIBBのRare Disease Research CenterのHeadとして活躍されています。


<共同研究>


ホモ・プロテインcDNAバンクのクローンリストを公開したところ、多くの研究者からクローンの分譲依頼がありました。熊本大の森正敬博士(DnaJホモログ)、徳島大の田中啓二博士(26Sプロテアソームサブユニット)、琉球大の剣持直哉博士(リボソームタンパク質)、岐阜大の岡野幸雄博士(UbcH9)、国立遺伝研の山尾文明博士(UbcH-ben)、大阪大の塚田聡博士(Sab)とそれぞれ共同研究を行い、共著論文を発表することができました(論文は成果の項参照)。


東大医科研の布井博幸博士から、易感染症の患者の細胞骨格アクチンに変異があるようなので、cDNAをクローニングして変異の有無を確認したいという共同研究の申し出がありました。患者の白血球細胞からキメラオリゴキャッピング法を用いて完全長cDNAライブラリーを作製し、β-アクチンとγ-アクチンの完全長cDNAをクローン化し塩基配列を決めたところ、β-アクチンに変異があることがわかりました(K99-5)。アクチンの変異に起因する遺伝病の初めての発見となりました。


北里大医学部の鎌田貢壽博士から、胃癌患者のリンパ節に転移した癌細胞をSCIDマウスに移植・増殖させた組織から完全長cDNAライブラリーを作製したいという申し出がありました。発現プロフィール解析を行い学会発表を行いましたが、私が相模中研を退職したため研究継続ができなくなり、論文化には至りませんでした。転移した癌細胞の性質を調べるには面白い方法論と思いますので、未練が残る研究テーマです。なお、鎌田氏とは、ラットにネフリンcDNAを導入する遺伝子免疫によって抗体を作製する研究で共著論文(K06-1)を発表しています。


<遺伝子特許>


相模中研は特許のライセンス料を大きな収入源としていたので、特許性のある研究成果はまず特許出願しなければなりません。物質特許の主要要件は、①産業上の利用可能性、②新規性、③進歩性の3点です。タンパク質をコードしているcDNAは天然には存在しない人工産物なので、新規性と進歩性はクリアできます。コードしているタンパク質の機能がわかれば、医薬品などとして産業上の利用可能性もクリアできることになります。そこで我々はこれまでクローン化したcDNAの中から、既知のタンパク質とアミノ酸配列の上で類似性が見られるため、その機能が予測できるタンパク質をコードしているcDNAを約60個選別し、1992年8月にまとめて特許出願を行いました。


実は1991年6月に米国NIHのCraig Venter博士が、2,000件以上のEST(Expressed sequence tag)というcDNA断片を特許出願したという報道がなされました。私はcDNA断片は上記の物質特許要件を満たしていないだろうと思っていましたが、実際、米国特許庁はこのNIHのEST特許を却下しています。


1993年の2月、ずっと私の研究に注目し取材してこられた日経BP社の河田孝雄記者に、ついうっかりうちもcDNA特許を出していると話してしまい、その1週間後、大騒動に巻き込まれてしまいました。日本経済新聞に相模中研が60件のヒト遺伝子特許を出願という記事が出て、その後、主な新聞社や海外のメディアから取材電話が殺到しました。NatureとScienceからも取材を受け、Nature誌はNews欄に”Institute files for patents on first Japanese sequences”という題の記事を掲載しました。さすがNature誌、私が話した内容を正確に記事にしています。相模中研の航空写真とともに、”Sagami keeps the mix boiling”という題で相模中研の紹介記事も載せてあり、相模中研の良い宣伝になりました。


我々の出願した特許はその後どうなったかと申しますと、米国特許庁はまず遺伝子を10個に絞れと言ってきました。そこで最も利用価値がありそうなもの3個を選んで回答したら、なんと特許として認められました。ただ、すぐ利用可能かというと疑問が残り、スポンサー企業からの引き合いもなかったので、他のcDNAの審査請求は行わず、認められたcDNA特許の維持もしませんでした。我々としては、cDNA特許に対してどこまでなら認られるかについて米国特許庁の反応を探る目的がありました。


その後、有用性が高いと思われるcDNAについては、インビトロやインビボでタンパク質を作製し、その活性を測定したデータを含めて特許出願を行いました。その中で一番成功した例はTGF-ßスーパーファミリーの一つであるGDF15の特許です。米国の某社にかなりの高値でライセンスできました。GDF15については別項で詳しく紹介します。


<プロテジーン>


1994年1月、ジャパンビジネスインキュベーションの棚井丈雄氏が来所し、事業化できるような特許を探していると話されました。棚井氏は新日鉄のボストン駐在員としてベンチャーキャピタルのお仕事をされていましたが、新日鉄を年満退職後自分のベンチャーキャピタル会社を立ち上げたとのことでした。棚井氏は我々のホモ・プロテインcDNAバンク構想に共感し、「プロテジーン」というベンチャーを創立されました。


最初、相模中研が有している遺伝子特許の実施権をプロテジーン社に許諾し、海外の製薬企業に売り込みを行ってもらいました。棚井氏は長らくボストンで仕事をしておられたので、米国バイオベンチャーにも人脈がありました。その最初の成果が上記GDF15特許のライセンスです。その後、相模中研とプロテジーンが共同研究体制を組み、分泌・膜蛋白質のcDNAクローニングを実施し、米国企業にライセンスすることができました。これを契機に相模中研とプロテジーンが中心となってホモ・プロテインcDNAバンクを構築しようと、通産省や相模中研のスポンサー企業さらには海外の製薬企業に働きかけを行ってきましたが、残念ながら実現には至りませんでした。

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